御歳92。北木のばーちゃん。
先日、眠るように天国へと旅立ちました。
2年ほど前から足腰も弱くなり、
施設と病院を行き来し、
2ヶ月前から容態が悪化し 入院していました。
それまでは、本当に元気で、
北木で一人暮らしをしながら、
笠岡に出てきては、みんなでご飯を食べようと
大好きなお店で 孫や曾孫と共にご飯を食べるのが楽しみでした。
キレイにお化粧をしたり、カチューシャをつけたり、どんなに歳をとっても、スカートをはいて オシャレをしていたばーちゃん。
とっても心配性で、大時化や台風のたびに、
せいやくんの心配をして電話をくれました。
そんな優しいばーちゃんも、
私が子供の頃は、とても厳しく 怖いばーちゃんでした。
一緒に北木で暮らしていた頃は
何かしたら 怒られるんじゃないかと、ドキドキしていたような気がします。
それでも、母が 、笠岡で一人暮らししていた
当時 高校生の長女の元へ行くと、
私たちのご飯を作ってくれるのはばーちゃんで、
「りさらぁは、何が好きかの〜」と悩んで父に聞いていたりしていたそうです。
私がホタテのお刺身が好きと分かると、
大皿にいっぱいのホタテを用意してくれたり、
みんなに、これおいしいね と言われると何日も同じメニューだったり、
夏場にはみかんとパインの寒天ゼリーをしこたま作ってくれたり、
特製ミックスジュースも大きいコップになみなみ注いでくれたり、、、
今、大人になって思えば、
厳しさの中に沢山の優しさが詰まっていました。
歳をとるにつれて、段々と物腰も柔らかく
曾孫の顔を見て 微笑む優しい笑顔が忘れられません。
亡くなったその日、それは、虫の報せだったのか、、、
私は何故か、今日はばーちゃんとこ行かなきゃいけない!という思いにかられ、
いつもは騒がしいからと うちの子を連れて行くのも避けていましたが、
何故か連れて行って顔見せてあげようと思い、
午後から帰ってきていた次男だけを連れて、お見舞いへ行きました。
もう声も出せなかったけど、
声をかければ目を開け、こちらを見てくれるような仕草をしてくれました。
ぱくぱく口を開き、なにか喋っているような雰囲気もありました。
ほかの2人の子の 帰りの時間になったので、
私はその日は帰ったのですが、、、
ばーちゃん さっき息を引き取ったよ
連絡が来たのは、私が帰った1時間後でした。
あぁ、あと1時間 そばに居れれば良かったなぁと
今でも思います。
お通夜もお葬式も、みんな泣いていました。
うちの長男も次男も泣いていました。
子供ながらに最期のお別れだと分かったのか、
棺の中のばーちゃんへ声をかける時にポロポロと涙をこぼして ばーちゃんありがとうと伝えていました。
元気なうちに、もっと色々 話したかった。
今更 話したいこと、聞きたいことが出てくる。
みんなの ありがとうは、伝わったでしょうか。
伝わっていればいいな。
こんなにも みんなに好かれていたこと。
ばーちゃん、
どうか天国で じーちゃんと共に
見守っていて下さい。
今まで本当にありがとね。
先日、眠るように天国へと旅立ちました。
2年ほど前から足腰も弱くなり、
施設と病院を行き来し、
2ヶ月前から容態が悪化し 入院していました。
それまでは、本当に元気で、
北木で一人暮らしをしながら、
笠岡に出てきては、みんなでご飯を食べようと
大好きなお店で 孫や曾孫と共にご飯を食べるのが楽しみでした。
キレイにお化粧をしたり、カチューシャをつけたり、どんなに歳をとっても、スカートをはいて オシャレをしていたばーちゃん。
とっても心配性で、大時化や台風のたびに、
せいやくんの心配をして電話をくれました。
そんな優しいばーちゃんも、
私が子供の頃は、とても厳しく 怖いばーちゃんでした。
一緒に北木で暮らしていた頃は
何かしたら 怒られるんじゃないかと、ドキドキしていたような気がします。
それでも、母が 、笠岡で一人暮らししていた
当時 高校生の長女の元へ行くと、
私たちのご飯を作ってくれるのはばーちゃんで、
「りさらぁは、何が好きかの〜」と悩んで父に聞いていたりしていたそうです。
私がホタテのお刺身が好きと分かると、
大皿にいっぱいのホタテを用意してくれたり、
みんなに、これおいしいね と言われると何日も同じメニューだったり、
夏場にはみかんとパインの寒天ゼリーをしこたま作ってくれたり、
特製ミックスジュースも大きいコップになみなみ注いでくれたり、、、
今、大人になって思えば、
厳しさの中に沢山の優しさが詰まっていました。
歳をとるにつれて、段々と物腰も柔らかく
曾孫の顔を見て 微笑む優しい笑顔が忘れられません。
亡くなったその日、それは、虫の報せだったのか、、、
私は何故か、今日はばーちゃんとこ行かなきゃいけない!という思いにかられ、
いつもは騒がしいからと うちの子を連れて行くのも避けていましたが、
何故か連れて行って顔見せてあげようと思い、
午後から帰ってきていた次男だけを連れて、お見舞いへ行きました。
もう声も出せなかったけど、
声をかければ目を開け、こちらを見てくれるような仕草をしてくれました。
ぱくぱく口を開き、なにか喋っているような雰囲気もありました。
ほかの2人の子の 帰りの時間になったので、
私はその日は帰ったのですが、、、
ばーちゃん さっき息を引き取ったよ
連絡が来たのは、私が帰った1時間後でした。
あぁ、あと1時間 そばに居れれば良かったなぁと
今でも思います。
お通夜もお葬式も、みんな泣いていました。
うちの長男も次男も泣いていました。
子供ながらに最期のお別れだと分かったのか、
棺の中のばーちゃんへ声をかける時にポロポロと涙をこぼして ばーちゃんありがとうと伝えていました。
元気なうちに、もっと色々 話したかった。
今更 話したいこと、聞きたいことが出てくる。
みんなの ありがとうは、伝わったでしょうか。
伝わっていればいいな。
こんなにも みんなに好かれていたこと。
ばーちゃん、
どうか天国で じーちゃんと共に
見守っていて下さい。
今まで本当にありがとね。